HISTORY
私たちのあゆみ
1929
創意と技術で⼯業界の発展と共に歩んだ
90余年のあらまし。
1929
6月
元久保工作所創立。
初代元久保孝一が東京都品川区大崎で工作機械部品加工を目的に元久保工作所を創立
工作機械の製造に必要なプレーナーを1台借りたところから始まった。
8月
米式旋盤の製作開始
1941
3月
精密機械統制会会員になり旋盤の製作を中止(累計生産台数:約1500台)。
軍需工場指定となる。
1943
4月
傘歯車創成盤(ライネッカ型)の製作を開始。
主として航空機メーカーへ納入(累計生産台数:60台)。
1945
4月
東京大空襲により東京 蒲田の工場全面焼失。
1946
6月
2代目元久保周一が現広島県福山市駅家町にて工場を再開する。
1955
4月
広島県福山市霞町に工場移転。
1958
3月
MD-360型高速精密旋盤生産開始。
歯切盤を新規導入し、歯車製作部門を新設。
この頃より、日本ホイスト株式会社様との取引開始。
1962
2月
株式組織に改組(資本金300万円)。
代表取締役社長に元久保周一が就任。
従業員全員が株主に
ひとりでも多くの人が経営を考えてくれればという想いから、
当時25名の従業員全員が株主という形であった。
1963
11月
MH型キー溝盤(MH-F型)を開発。
旋盤の生産を中止(累計生産台数:約150台)。
歯車部門増強のため増資(資本金1,000万円)。
シャフトのキー溝加工に苦労したことから始まった工作機械の製造
取引を開始していた日本ホイスト株式会社様の減速機の組立に追われ、特にシャフトのキー溝加工に苦労していた。そのため技術力をもとに旋盤などの工作機械を作った。現在の工作機械製造はこのキー溝専用の加工機を作ったことが始まり。
1964
10月
MBG-1型べベルミラーを開発。
1967
5月
広島県福山市瀬戸町に工場を新設し、本社を移転。
1969
10月
日本歯車工業会に入会(のちに一時退会)。
1970
5月
日本工作機械工業会に入会(現在は退会)。
8月
大型べベルミラー(MBG-Ⅱ型)、スプラインミル(MSP-1型)を開発。
1973
1月
歯車研削盤(マーグ製HSP80型)および大型歯切盤の設備を拡充。
マーグ製HSP80型の導入
大型の精密歯車製作を目的として、当時日本に4~5台しかないマーグ製HSP80型を設備した。
12月
住友重機械工業株式会社様、三井造船株式会社様との取引開始。
1974
7月
3代目社長に元久保和伸が就任。
1982
7月
MH-KFⅡ型3軸制御ATC付きキー溝盤を開発。
1984
10月
NCラック研削盤(MG-R100型)を開発。
1985
9月
エンジン用カム成形フライス盤NCカムミラー(MH-CPF型)を開発。
1988
8月
4軸制御ATC付きキー溝盤(MH-VKF型)を開発。
10月
精密研削工場(瀬戸5工場)完成。
1994
6月
広島県福山市箕島町(テクノ工業団地内)に箕島工場を新設。
テクノ工業団地の誕生
設立当時、福山市内12社(現在は11社)が集まり、資金調達・土地の選定・買収から工場建設まで約5年の歳月をかけて民間の力で
テクノ工業団地が完成しました。
11月
福山熱煉工業株式会社様と共同出資による新会社、株式会社CCIを設立する。
2003
11月
本社を箕島工場に移転する。
2011
7月
浸炭焼入れ後にキー溝の修正加工も可能なMH-SVKF型を開発。
2016
4月
4代目社長に元久保和宏が就任。
就任エピソード
前社長(3代目)より「自分はやりたい仕事(当時は国鉄が人気だったのでそこで働きたかったらしい)が出来なかったので、自分が60歳までは自由にすればいい、60歳になるころに地元に戻ってきて、65歳くらいで世代交代をしよう」という話をしていたが、65歳になっても特に世代交代の話もなく、67歳になった(忘れたころ)ころに「しんどくなってきた、そろそろ代わるか」と言われて社長に就任することになった。
10月
日本歯車工業会に入会。
2019
2月
歯車研削盤(クリンゲンベルグ製) 導入。
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